きらり、別居決定。実家へ帰る。

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こんにちは。きらりです。

出来ることはすべてしたけれど、全く夫と意思疎通出来ず、別居を決意しました。

実家から親が手伝いに来てくれました。

娘に引っ越しを伝えました。「いいよ~」とあっさり了解してくれましたが、学校のお別れ会では泣いていました。胸が引き裂けそうな思いをしました。

娘達は私たちの夫婦仲を微妙に感じ取っていました。普段は真面目でよい子でなんの問題もありません。しかし、悪い友達に誘われて近所のコンビニで万引きをしたのです。小学2年生でした。

機能不全家族の悪影響が出たと思いました。ショックでした。

万引きの一件が、私を別居を決意させた大きな出来事でもありました。

その時の経済状況

無一文で実家に帰りました。

夫から子供の通帳から普段の通帳まですべて置いていけと言われました。

子供の通帳には子供がお年玉を貯めた分、出産一時金、出産の御祝等、それぞれ貯金していました。

家族の貯金は一千万円ほどありましたが、すべて社内預金で、現金はさほどありませんでした。

2度目の借金からよくここまで貯めたなと自分でも感心しましたが、社内預金だと私は手出しはできません。

別居するときに財産は半分にすると約束しました。

「俺の金」を主張していましたが、自分では何一つ貯金もできないくせに・・・と心の中で思っていました。

生活費として、月12万円支払う約束をしてもらいました。

なぜ12万だったのか・・わかりません。もっともらっても良かったなと後で後悔しました。

(その後14万になりました)

自治体からもらえる児童手当、夫にとられました。

一人5000円×2=10000円

子供に支給されるから子供のお金だと主張しましたが、自分の名義の口座に入るから俺の金だと全く聞く耳持たずでした。

私のなけなしの貯金も借金返済の時に使用しており、ほぼゼロに近かったです。

すべてを失ったと思いました。

妻の座。安定。夫。幸せ。将来。世間体。

私に残ったのは二人の娘達のみでした。

実家暮らし

私の両親は、出戻りの私を暖かく迎えてくれました。

両親は特別裕福な訳でもなく、貧しくもなく・・・中流家庭です。

私達を養うゆとりのある財力はありません。

それでも、孫娘を悲しませてはいけないと必死でした。

母が「これから仲良く暮らしていこうね」と娘達に言っていた事が忘れられません。

住民票を移し、小学校の手続きをしました。

小学校の手続きはあっさり終わりました。

娘達は新しい小学校にもあっさりと馴染みました。

夫との家庭では最近なかった、両親、娘達、私の家族団らんの時間もできました。

今日あったことを話しながらご飯を食べてという普通の生活ができました。

しかし、私の心は全く晴れずにどんどん沈んでいきました。

今までは辛くても私がしっかりしなければと家事をしていましたが、母がいるので私がしなくても家が回るようになり、気持ちが落ち込むと同時に何も出来なくなりました。

とにかく落ち込む

とにかく落ち込みました。

色々と結婚生活を振り返り、「あのときこうしとけば」「あのときこう言えば」「私の○○が悪かったから」と後悔の連続でした。

外出しても目に入るのは仲の良い家族連ればかり。

「なぜあの人達に出来る事が私には出来ないのか」「なぜ皆幸せそうなのに私だけ不幸なのか」そんなことばかり考えるので、外に出かけるのも苦痛でしかなかったです。

両親が「過去は変えることは出来ないけど、今から頑張って幸せになれば良いじゃない」と言ってくれましたが、頭では分かっているけれど、心が追いつかない様な状態でした。

とにかく娘に申し訳なくて申し訳なくて、涙涙の日々でした。

別居前に受診していたギャンブル依存症の精神科から軽い鬱病の診断をもらっていたので診断書を作ってもらい、実家の比較的近所の精神科に通院を始めました。

以前の精神科でも薬を処方されていましたが、新しい精神科でも薬を処方してもらいました。

夜眠れない、朝早く目が覚めてまた悩む、日中また悩むという毎日でした。心が常に重く、何か陰をしょっているという毎日でした。

薬を飲むとカラッとよくなるのかなと思ったけれど、多少の変化があったような無いようなという程度。

要するにいくら良い薬を飲んだとしても、気の持ちようが一番大切なんだと分かったのは、もう少し後になってからです。

プライドの高い私

私は友人に実家に帰ってきた事を言えませんでした。

どちらかというと比較的経済的に恵まれていて、専業主婦で、「勝ち組」とは思っていませんでいたが、どこかにそんな意識があったのかも知れません。

落ちぶれて娘二人で帰ってきたと思われるのが、嫌だったのです。

離婚した友人はほとんどいませんでしたが、その人達には連絡をして今後の相談にのってもらいました。

友人達は比較的カラッとしていました。辛さは時間が解決してくれる、なんとかなる、そんなに深く考えるな・・・と言われました。

離婚した友人3人中2人は離婚前後に自立をしていました。

もともと持っていて使っていなかった資格で働き出した友人。

離婚前に専門学校に通って資格をとり、自立した友人。

その2人は元同僚で、私と同じ様な仕事(事務)をしていたけれど、がらっと180度違う仕就き就き、自立していました。

とにかく働かないといけないな・・・と強く思うようになりました。

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