就職をし、資格取得を目指し合格~離婚は辛いよ

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こんにちは、きらりです。職業訓練も無事終え、予定していた資格も無事とれました。

事務の仕事に就こうと思い、ハローワークで給人を探すも、申し込んだ時点ですごい倍率。

履歴書を送っても面接みはたどり着かず・・・。

その時すでに38歳。そりゃ、仕事から離れて10年以上たつ特に取り柄の無い専業主婦より、若い有望な人を選びますよね(-_-;)

専業主婦の就職は難しい 年齢の壁

自分の価値は自分が思っていたより、いやいや、自分が思っている以上にずっとずっと低かった・・・ということです。

卒業した短大は俗に言うお嬢様学校で、特に私が住んでいた県では非常に評判の良いと言われていましたし、地元では有名企業に勤務していましたが、全くそんな事は問題外でした。

そりゃそうですよね・・・。結構な数の事務職の給人に応募しましたが、結局すべて書類審査で脱落。

年齢の制限はあまり無かったと思いますが、そりゃ若い方を選びますよね。そして私にはたいした実績もない。同じ条件なら私だって若い方を雇います。

そんな現実を初めて目の当たりにしました。

その中に1つだけ面接が出来た会社がありました。

私は短大卒と同時に資格を取得しており、でもその資格で働いた事は無く、持っているだけの資格でした。

その資格の求人応募したら、面接を受けて合格。

未経験の仕事だったので、迷いはありましたが、早く決まった所で働こうと決意し、パート社員というなんとも不思議な身分で働く事になりました。

よく未経験の私を採用してくれたな・・・と思いましたが、それには理由があった事に入社してから思い知らされました。

ブラック企業へ入社

引継ぎしてくれた前任者は丁寧に教えてくれましたが、これを一人でしかも人員0.5人分減っている分は、私がその分働かないといけないいうことでした。

初心者なのに、現場責任者という立場でした。

前任者は「なんとかなる!」と言って、逃げるように辞めて行きました。

後で分かったことですが、私の立場の人たちは皆すぐに辞めてしまう、ころころ変わるとの事。

納得でした。毎日朝5時半から15時半まで現場をこなして、本来の私の仕事は昼休みか現場の仕事が終わってから残業してからこなすという毎日でした。

私の専門の仕事プラスその事業所の実績管理からシフト作り、パートさんのお世話、何から何まで私の仕事でした。

委託で事業所を任された立場なので、たまに現れる指導員でもある上司(もちろん私より若い)に仕事が多すぎて出来ないと相談しても「仕事が遅いからだ。出来るはず。」と一蹴されていました。

月1回の全体会議に行っても、具体的な改善案とか業務改善方法などを示してくれるわけでは無く、ただただ根性論でやれ!という内容ばかり。

私は今までこんな世界があるとは知りませんでした。私は今までなんて恵まれていたのだろうと改めて思い直しました。

毎晩朝5時30分に出勤して、慣れない事もあって仕事がこなせず毎晩10時頃まで仕事をしていました。

それでも残業代はつきませんでした。仕事が遅いからとの事。全体会議の時に残業代を申請しませんという署名と捺印も求められました。

毎晩泣きながら一人残って残業しました。理不尽な事も多かったですが、仕事が慣れたら少しは早く帰れるかもと必死で頑張りましたが、頑張れば頑張るだけ仕事量も増え、毎日毎日残業でした。

残業の毎日でしたが、結果は少しずつ現れ、成績はよかったです。

現場の方達との人間関係も苦労しました。

私は絶対にその現場の人間関係に巻き込まれないようにしようと思い、悪口は言わない、とにかく聞くだけにしようと決心。理不尽なことだらけだったけれどひたすら耐え、「今ある現状は自分で蒔いた種なんだ」と読んだ本で得た知識をひたすら頭で復唱し、耐えに耐えました。

でも、このままではここの職場に殺されるという思いはずっとありました。でも何も知らない私を雇ってくれたという恩も多少ある。一年たったら辞めようと決心し、それまではひたすら我慢し、仕事はベストを尽くす努力をしました。

いつもと違う上司が事業所訪問に来ました。

私より年上の方でした。

今の悩みを話すと「まだ、若いのだから上級資格をとりなさい。」と言われました。

その時まで、そのことは考えたことは有りませんでした。

しかし、今の資格では人間として扱われない仕事しかないのかと絶望はしていたので、少しはっとしました。

パートさんの一人が「ここにいても未来はないよ。こき使われるだけ。あなたは若いのだから、将来のあるところで働きなさい。」と、別の職場を紹介してくれました。

その方が定年まで勤務していた職場でした。

神様は見ているのだな・・・と少し感動しました。

そして、新たな職場で働く事になりました。

少しステップアップそして資格取得目指す

新しい職場に少しは希望を持って出社しましたが・・・そんなに甘くは有りませんでした。

私は産休代替という立場でしたが、上級資格を持っていないため、出来ない仕事がありました。

同じ仕事をするのは、全部で4人。

とにかく決まりの多い、厳しい職場でした。けれど、殺されるような激務からは開放され、比較的普通の生活が送れました。

給料も上がり、ボーナスもありました。

上司が怖かったです。ターゲットにされるので、その時期は頭を低くしてひたすら耐え嵐が去るのを待つという事を思えました。

もちろん私の力不足もありました。

でもやはり上級資格を持っていないので、肩身が狭く、辛かったです。

産休代替でしたので、2年働きました。一人欠員が出ましたが、上級資格を持っていない私は声をかけられませんでした。そもそも、あまり気に入られていなかったと思います。

勤務2年目は上級資格の勉強しながら働きました。

上司からは「そんなにお金かけて勉強しても合格は難しいよ」と言われました。というよりそれで勤務に支障が出たら困るみたいな雰囲気でした。

(ちなみにその上司、部署でクーデター?が勃発し、他施設に移動になったそうです。)

乗りかけた船だからとサラッと流しました。一度目のチャレンジは失敗。その職場を2年間で退職し、合格目指して緩い仕事に就くことを決め、県の臨時職員の採用されました。給料はガクンと落ちましたが、勉強することが出来て良かったです。

無事念願の上級資格を取得。2年間かかりました。

資格を取って良かったのは、人として少し自信が付いたこと。

自信をすっかり失っていた私には、少し誇れる肩書きが出来ました。

収入を上げて、安定した生活をと少し希望が持てました。

この頃、実家から独立しました。いつまでも親の世話になるのは申し訳ないし、子供達も大きくなって好きにテレビを見たり、自由にしたいときもあるのではないかと思ったからです。

資格取得は難しい・・そして資格取得しても就職は無い

就職活動は県の臨時職員をしながら行いました。

求人数が少ない。人気のありそうな求人は書類審査で落ちる。

上級資格としての経験が無いのが痛かったです。

正職員を目指していましたが、実務経験が無いのはやはり厳しく、臨時職員でもよいからとりあえず応募していきました。

絶対に敷居が高すぎて無理と思っていた施設から採用してもらいました。

そこで約2年、別の施設で半年、臨時職員を経て、やっと念願の正職員になることが出来たのは、44歳の時でした。

別居して7年近くの年月がかかりました。

「私が悪かったからこうなったんだ」という劣等感しかなかった私ですが、ようやく一人前に慣れたような気がしました。

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