はじめまして、きらりと申します。
このブログは結婚生活や恋愛に悩んでいる方に、少しでも私の経験がお役に立てたら・・・と思って始めました。
失敗だらけの人生です。でも、なんとか生きています!
辛さを抱えて、色んな物を背負っている方へのエールを込めて、お届けします。
地方都市在住、アラフィフ、娘二人います。
離婚歴あり。 バツ2です。
1度目の結婚は26歳の時。
一部上場企業に勤務する転勤族の2つ年上の男性。
娘2人は初めの夫の子供です。
結婚生活は11年続きました。
2回目の結婚は47歳の時。
小さいですが、会社を経営する一回り年上の男性。
2年半の短い結婚生活でした。
特に2回目の離婚は私にとっては不本意で、よく分からない間に離婚となった…という印象です。
後悔しか残りませんでした。
だって、自分にとっては夫のことを思って一生懸命やってきた・・・。
自分の仕事を捨てて、義母の仕事の手伝いを一生懸命やってきた・・・。
なのになぜ離婚??
納得いかないけれど、夫は自分が絶対なので、意思は変える事はないのは分かっていました。
話し合いもなく、全てを受け入れました。
後悔しかありません。
喧嘩もあったけれど、夫が大好きでした。
そして、目下復縁活動中です。
そんな私の波瀾万丈な人生を読んで、
何か感じたり、気付いて戴けたら嬉しいです。
そして、これを読んでいる皆さんが、少しでも元気になれればいいなと思います。
そして、現在進行形の復縁活動についてもお届けしますので、
現在復縁活動中の皆様へのエールもこめて・・・。
一緒にがんばりましょうね!!
きらりについて
私きらりは地方都市に生まれ、高校、短大、就職、結婚と比較的順調に人生を歩んでいました。
一人目の夫とはテニスで知り合いました。職場がらみのテニスです。
夫は勤務先との取引のあるメーカーの社員でした。
結婚し、転勤族のため一生全国転勤を覚悟していました。
前夫は、有名私大卒、次男、比較的高給取り、明るく賢いという人でした。
結婚して娘が二人生まれ、知らない土地でのワンオペ育児が始まりました。
きらりの離婚理由
前夫の借金が原因です。前夫は性格の不一致と言い張っていましたが。
一回目はまだ子供が生まれる前。
いつも夫宛に届く信販会社の明細を不思議に思い、なんとなく開けて100万近い借り入れ。
問い詰めると、自分の借金の事より、私が勝手に封を開けたことをなじられました。
その時は、自分で返すから・・と言い切るので、信用して話は終わりました。
私もあまり深く考えていませんでした。
今思えば、お金がないから借り入れをしているのに、返せるわけがありませんね。
2回目はそれから2年程達、娘達が生まれ、1歳になる前でした。
ふと夫宛の信販会社の明細をなぜか開けてみたくなり、開けないと約束していましたが、開けてしまいました。
すると借り入れは減るどころか数倍に増えていました。多分300万位だったと思います。
びっくり仰天し、夫を問い詰めました。やはり、明細を開けた事をなじられました。
話にならないので、夫の両親に電話。次の日遠方から来てくれました。
しかし、両親が問い詰めていくと、実際は700万の借り入れがあるとのことでした。
何に使ったのか・・・飲み代やギャンブルのようです。
しかも複数の会社からの借り入れ。
夫の両親が、700万用意するとの事でした。ただ、私に700万渡して離婚しても良いといわれました。
私は夫と娘と生きていく道を選びました。
前夫の両親からは「弁護士さんからも誰からも立替えるのは反対された。でも家族を守りたいから」といわれました。
それから、夫と娘を連れて、直接返済しに回りました。
夫は仕事はきちんとするし、収入も高い。なぜ借金するのかわかりませんでした。
身の丈にあった生活ができないのかなと思っていました。
私はそれから、超節約生活に突入しました。
少しずつ夫親に返済しながら、貯金していきました。
3度目はそれから3年ほど後、なんか夫の様子がおかしい。
異常にイライラしている。
転勤後ではありましたが、そんなにイラつかなくても・・・と思っていました。
夫婦関係も日に日に悪くなっていきました。
部屋に閉じこもり、子供に対する態度もひどい。
運動会のカメラの準備を御願いしても、場所取りを御願いしても、怒鳴る。
娘のスイミング、娘達がパパに見て欲しいと御願いしても行かない。
思い切って夫が寝静まった夜中、夫の営業車を詮索すると・・・。
借り入れの明細が出てくる出てくる・・・。
几帳面な性格だから、綺麗に整理整頓してそろえているのにはびっくり。
かなり動揺して、ざっと計算すると600万くらい。
夫婦関係の亀裂を恐れ、明細は置いて帰りました。今なら写メを撮りますが。
びっくりしたのは、今は社名を変更している古いカードが出てきたこと。
100万ほど借り入れしていました。
きっと2度目に親が問い詰めた時、全部を明かさずに隠し持っていたのでしょう。
それから一時して、おそるおそる問い詰めました。
もちろん夫婦関係の崩壊です。怒りに怒っていました。
家庭内別居のはじまりです。
もちろん借金は認めません。一生家庭内別居だと言い出しました。
今まで、私が家計を握っていましたが、取り上げられました。
ずるいところは、自分から離婚と言わない事。
私は離婚だけは避けたかった。
一番の理由は子供がいるから。
私に生活力がないから。
私はだんだん精神的に参ってきました。
きらり別居まで
そんな、夫に気を遣いながら、精神をすり減らしながら、夫婦再生への道を探りました。
まず離婚になったとき、養育費はいくらもらえるか、慰謝料はもらえるかなど、弁護士さんに相談したり、ネットで調べたりしました。
慰謝料をもらえても、ごくわずか、月々の養育費だけでは生活出来ないことも知りました。
市の女性センターみたいな電話相談する所にも電話しました。
そこは全く話にならず、「自分らしく生きられないのであれば、離婚したら」と離婚を勧められました。要するに、ひと事でした。パート相談員みたいな方でした。
同じ様なところで、直接相談を受けてくれる市の施設にも行きました。
そこの相談員の方は実際に離婚寸前まで悩んだ事のある方でした。話を聞いてくれて、「相手は変わらない」と言うことを教えてくれました。何度か予約をして、話を聞いてくれました。
借金を繰り返す事が不思議でしたので、サラ金の借金に苦しむ方や家族の相談を受けてくれる組織が市内にあり、そこにも相談に行きました。
「依存症ではないか」と言われました。私も色々調べていくうちに「依存症」を知り、あまりにも当てはまるので確信しました。そこでも、「相手は変わらない」と言われました。
よく私の話を聞いてくれました。相談員の方がぽろっと「帰れる家があるのなら、帰ったらどうか」と言いました。私は実家があるだけ恵まれているとの事でした。
そこで紹介されたギャンブル依存症の会にも出席しました。(ギャマノン)聞けば聞くほど完治しない恐ろしい病気だと知りました。
離婚したくない、でも夫は借金を認めない、このままでは家庭崩壊、でも夫と意思疎通できない、夫は変わらない、離婚するか、子供に不憫な思いをさせる・・・そんなことを毎日考えていると私は精神的におかしくなり、ギャンブル依存症を取り扱っている精神科に受診しました。鬱病でした。
その精神科でも「夫は変わらない」と言われました。色々相談しましたが、結局は自分の人生は自分で決めなければいけないことを覚悟しました。
私の両親は離婚には反対しました。しかし、「自分にいくら経済力がないからといってあんな男にしがみついて生きるのか?」と私に言いました。「あんな父親の側にいる方が子供にとって悪い。貧乏でも良いじゃないか。一生懸命生きていけば、子供はきっと分かってくれる」と私に言ってくれました。
それで、私は別居を決意して、実家に帰ることを決めました。
離婚したくない、でもやれることはすべてやったけど修復出来なかったです。
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